2013年に、ちょっと定年より早めに退職してから、実家で農業を始めました。初めての稲作は、歩行式の田植機で田植えをし、バインダーで稲刈りし、鉄パイプで自作した干し器で自然乾燥し、ハーベスターで脱穀と、昔ながらのやり方でやってみました。農薬は極力使わず、除草剤も使わず、化学肥料も使わず、自然栽培に近い方法で稲を育ててみました。
初めて自分で作った米は、あいちのかおりという米でしたが、とってもおいしくできました。
2014年には、ネットで、いのちの壱という品種のもみを買い、栽培してみました。あいちの香りと違い、大粒で、とてもおいしい米ができました。しかし、田んぼにコナギなどの雑草が生え、収量は大幅に減りましたが、前年と同じやり方で、なんとか米を作ることができました。ところが、そうした矢先の2015年の4月に思わぬ大病をして3ヶ月入院し、退院してからも、ほぼ1年間、休養しました。
2016年も、大事をとって稲作はやめました。
2017年は、田んぼで畑作をやってみました。しかし、また違う病気で体調を崩し、継続することができませんでした。
2018年は、なんとか体調管理をして、来たるべき機械化稲作の準備と、軽い畑作だけ、続けることができました。
2019年は、ようやく病気も一段落して、だいぶ体力も回復して、農協の正組合員になり、けっこう畑仕事や家の周りの環境整備ができるようになりました。しかし、4月には、父が亡くなり、家や田畑を引き継いで、いよいよ趣味ではなくて本格的に農業従事者になりました。
2020年は、かなり体力が回復して、ほぼ、病気する前の状態に近くなりました。機械のメンテや、農業設備のメンテや改良にも手が出せるようになりました。
2021年も、のんびり気長に環境整備と、機械化農業を進めてきました。6月には、念願だった農機具倉庫の基礎になるカーポートを設置しました。その下の地盤を整備して生コンを入れ、周りに単管パイプを立てて壁を作りました。
2022年には、とうとう稲作を復活し、8畝の田んぼで作りました。
2023年には、さらに増やして2反の田んぼで作りました。
2024年には、さらに田んぼを借りて増やし、2反3畝で作りました。